linzeの日記

考察はただの感想文です。

拾遺和歌集 いかばかり思ふらむとか思ふらむ

333 いかばかり 思ふらんとか 思ふらむ 老いて別るる 遠き別れを

 

作者

清原元輔(きよはらのもとすけ)

 清少納言の父。三十六歌仙の一人で、梨壺の五人の一人。百人一首に「契りきな かたみに袖をしぼりつつ末の松山 波越さじとは」の歌が入選している。

現代語訳

 あなたはどれだけ悲しいと思っているのだろうか。年老いて訪れた、この別れを。

考察

 「思ふらんとか思ふらむ」の文章がややこしい。後の「思ふらむ」は、「(わたしは)思っている」として、一つ目の「思ふらん」の主語は「あなた」だろう。だからこの文を通すと、「あなたは思うのだろうとわたしは思っている」となる。

 年老いてからの別れをあなたは悲しんでくれていますか(わたしは当然に悲しいですよ)。語り尽くせない自分の気持ちはあえて詠んでいない。分かり合った長年の友の気持ちを推量することで、自分の寂しい気持ちを表現しているのだ。語順が倒置法であることで、二度は会えないかもしれない別れであることが強調されている。

詞花和歌集 きのふかもあられ降りしは

 

2 きのふかも あられ降りしは 信楽の 外山のかすみ 春めきにけり

 

作者

藤原惟成(ふじわらの これしげ)

 花山天皇の乳母子で即位後も仕えていた。寛和の変以後は出家した。北家。

現代語訳

 昨日のことか、あられが降っていたのは。もう信楽の空にかすみが立って、すっかり春めいてきた。

 信楽滋賀県の地名。外山は、山なみのいちばん低いところ。

考察

 仁和二年の歌合せで霞をテーマに詠んだという。テーマの「かすみ」に「あられ」を並べることで、時間の連続性を意識させる歌になっている。

 「昨日まであられが降っていたのに」と驚く上の句に比べて、その後の下の句はただ外山の霞が「春めいてきた」と述べるばかりで、春めいてきたことへの思いはない。古今集であればこの後に続くのは恋人が来ない恨みや世の儚さといった内容であっただろう。下の句を描写と感想にとどめることで、「外山のかすみ」という映像の印象が強く残る。だから歌は全体として、春の訪れの感慨が叙事的に表現されているように感じた。

 「あられ」「かすみ」がひらがなで表現され、雰囲気が柔らかくぱっと見で映像が頭に入りやすい。